私たちの世代の横綱といえば
何といっても
千代の富士でした。
彼の
精悍な顔つき
傷だらけになりながらも鍛え上げられた肉体
土俵上で繰り広げられる鋭い技の数々
そして何よりも
横綱としての立居振舞と責任感
誰もがそのかっこよさに
憧れました。
あれほど夢中で見ていた大相撲を
ほとんど見なくなってしまったのは
いつの頃からか覚えていませんが
いつの日か
千代の富士のような
本当の「横綱」が
再び誕生することを
相撲を愛する一ファンとしては
願わずにはいられません。
私たちの世代の横綱といえば
何といっても
千代の富士でした。
彼の
精悍な顔つき
傷だらけになりながらも鍛え上げられた肉体
土俵上で繰り広げられる鋭い技の数々
そして何よりも
横綱としての立居振舞と責任感
誰もがそのかっこよさに
憧れました。
あれほど夢中で見ていた大相撲を
ほとんど見なくなってしまったのは
いつの頃からか覚えていませんが
いつの日か
千代の富士のような
本当の「横綱」が
再び誕生することを
相撲を愛する一ファンとしては
願わずにはいられません。
先日
J.D.サリンジャーが
91歳で亡くなりました。
『ライ麦畑』は
主人公のホールデンと
同じ年の頃に初めて読みましたが
今一つ共感することができず
なかなか先に読み進めなかったことを覚えています。
その後
友人の薦めもあり
他の作品も2冊ほど読みましたが
やはり
サリンジャーのあの独特の世界に
浸ることはありませんでした。
ただ
多くの世界中の作家たちが
サリンジャーの作品に対し
賞賛の言葉を送るのを目にし
彼の作品は
日本語で訳されたものではなく
原文で読まないとその良さはわからないのではないかと
勝手に解釈し
図書館で
辞書を片手に
『ライ麦畑』を広げましたが
数ページで面倒になり
すぐに断念しました。
それが私のサリンジャー作品との思い出のすべてです。
高い塀に囲まれて
謎の生活を何十年も過ごしてきた彼が
誰の目にも触れられていない作品を
たくさん遺していたとしても
何ら不思議ではありません。
そんなサリンジャーファンたちの夢を思いながら
久しぶりに
『ライ麦畑』を読み返してみれば
ホールデンを通して
あの頃とは違った形で
サリンジャーの言葉が
心に沁み込むのかもしれません。
今週は
仕事に関連して
たくさんの方と
面と向かってじっくり
お話しを伺う機会が多いです。
通信技術がめざましい発展を遂げ
メールやブログ、ツイッターが溢れる昨今
やっぱり人間は
会ってきちんと相手の顔を見て話さないと
お互いを理解できないよなと
当たり前のことを
実感する日々です。
神田小川町の交差点に
有名なたい焼き屋があり
いつも行列ができています。
ずっと気になっていたのですが
なかなか買う機会がなく
いつも唾を飲み込んで
前を通り過ぎていました。
ところが
先月その店が
秋葉原の末広町にも出店したため
ついに先日
持ち帰りで買ってしまいました。
この店のたい焼きは
たい焼きのまわりが
生地でできた四角い羽根で取り囲まれており
身に達するまでは
パリパリの生地の食感が味わえ
尻尾までたっぷりと詰まったあんこは
甘さを抑えていて
後味も良く
妻と一緒に
一瞬でぺろりと平らげてしまいました。
上野や八重洲にも
支店ができているようなので
皆さんも神田界隈にお越しの際は
是非一度お試しください。
今日の東京は
日中マフラーや手袋がなくても
自転車移動ができるくらい
穏やかな一日でした。
大河ドラマで
龍馬の物語が始まったようで
大型書店には
龍馬関連の本がたくさん山積みされていました。
世の男性の多くがそうであるように
当然私も学生時代
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を
夢中で読み
文春文庫を閉じた後
鼻息を荒くし
今一度日本をせんたくしたいと
妄想した人間のひとりです。
司馬遼太郎の描いた龍馬が
実際の龍馬そのものと看做されがちなため
フィクションの部分など
賛否両論ありますが
やはり司馬龍馬は我らの「坂本龍馬」であり
鮮烈で瑞々しく
最高に格好いい龍馬でした。
大河ドラマも
大原麗子の春日局以来
きちんと見ていないのですが
今回は毎週楽しみに見てみようと思います。
(と言っても、もう始まって数回経っているようですが)